2008年9月5日金曜日

9/5 Today 日比谷焼打事件(1905)……戦争に勝てば儲かるはずと思っていたニッポンの庶民

日露戦争終結のためのポーツマス会議が賠償問題で難航。賠償金はびた一文も取れないと知った国民は、激高して東京市内の交番を焼き討ちするなどの暴徒と化した。戦争で勝てば戦利品を奪うのが当然と思っていたのだ。戦国時代はそうだったからね。
日比谷焼打事件 - Wikipedia"9月5日、東京日比谷公園でも講和条約反対を唱える民衆による決起集会が開かれた。そして、遂に怒りで暴走した民衆たちによって日比谷焼打事件が始まったのである。暴徒化した民衆は内務大臣官邸、国民新聞社、交番などを襲って破壊した。この時、日本正教会がロシアと関係が深かった事から、ニコライ堂とその関連施設も標的になりあわや焼かれる寸前であったが、近衛兵などの護衛により難を逃れた[1]。これにより東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は戒厳令を敷くことでようやくこの騒動を治めたのである(戒厳令廃止は11月29日)。
この騒動により、死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上(このうち有罪となったのは87名)にも上った。
なお、各地で講和反対の大会が開かれ、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった。

この事件の背景として、これに先立つ日清戦争での戦費負担を補って大いにあまりある賠償金獲得により「戦争は勝てば儲かる」という発想が民衆(および新聞社以下マスコミ)にあったと考えられる。いずれにせよ、こうした民衆の姿勢がその後の軍部躍進の一助となった可能性はあるだろう。当時の新聞報道にも、日露戦争を起こすことで収益が上がると軍事行動を支援するような論説が多々見られた。"


あまり「民の声は天の声」なぞと考えないほうが良い例証である。

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